2016.07.06
(Wed)

七夕チェロ

年に一度、チェロ弾きが集まる会。去年はブラームスのソナタを弾いて、貴重なアドバイスを頂いたりした。 今年はソロ演奏では参加しなかったものの、とても楽しくいい思いもさせてもらった。 いい思いをした子細は訳あって書くわけにいかないと思うので、代わりにこのところ考えていたことについて。

***

去年ブラームスの録画を見たときには本当にがっかりした。自分としては出来るだけのことはやったつもりだけど、それでもこの程度か、と思った。

ボウイングを直すこととか、ビブラートの範囲を広げることとか、もっと楽譜をよく読んで楽譜通りに弾くことといった具体的な課題は課題として、その後むやみに自分の録音を聴かないようにした。 チェロを弾き続けるモチベーションを維持するためには、そうやって自分を"ガード"する必要もあると思う。

時は経って今年5月の発表会でエルガーの協奏曲を弾いたとき、このときも自分としてはできるだけの準備はして、本番でもそれなりのことはできたつもりだった。 その録音は、しばらく聴いていなかったけれど、先日思い立って恐る恐る聴いてみた。 結果はやはり「がっかり」だった。

「がんばって」はいる。ただ、その結果が人に聴いてもらえるだけの価値があるものかというと、そうは思えない。 せいぜい「遅くなって始めた趣味として楽しんでいるぶんには微笑ましい」という以上のものではないと思った。 これは他の誰と比較してということではなく、自分で聴いてただそう思ったのだ。 それなりに年数続けてきて、ずいぶん難しい曲も「弾ける」ようになったのに…というのもあるかも知れない。

それ以上何を望むというのか?実際に「遅くなって始めた趣味」なのだから十分ではないかと思う気持ちもある。 すばらしい演奏家の方たちの「真似事」をして、偉大な作曲家たちの作品、ソナタやコンチェルトまでも(自分の手で演奏するというかたちで)「鑑賞」することができる、それだけで十分ではないのか?…

どうも、それだけでは飽き足らなくなってきた、弾くことを無邪気に楽しめなくなってきた、というのがこのところの気分なのだ。

聴いてもらえる価値が少しはある演奏、「真似事」だけではなく少しは音楽の片鱗がある演奏、「微笑ましい」のでなく「可愛げのないところがある」演奏ができたら…というのが──七夕の短冊に書くには少しまとまりのない──今の「願い」だ。

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コメント

深化の過程

この数年の進歩は著しいですね。でも、表面的な進歩の裏で、いつか基本の基に戻ることがあるだろうと思っていましたが、いよいよかもね。これからもっと深い慶びをチェロから得られることでしょう。

2016/07/09 (Sat) 10:55 | goshu #jHSMZ1/Y | URL | 編集

> goshuさん
ありがとうございます。これまで色々な人に出会えたり、そこから色々刺激をもらえているのもgoshuさんのおかげです。
ま、これまで同様、色々あがいてみます。

2016/07/09 (Sat) 21:40 | yoshi #ZQHR2uUw | URL | 編集

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2016/07/25 (Mon) 11:57 | # | | 編集

Re: はじめまして

> 鍵コメSさま
はじめまして!コメントありがとうございました。
エチュードでも曲でも私よりじっくりと長い日数をかけておられる様子を教えてくださって参考になりました。
このあたりは先生によって色々違うようですし、私の先生も他のレッスンではどうやら少しスタイルが違うようで…このことはいつかまた書くかも知れません。
そうして積み重ねたものの「価値」について、アマチュアのマラソンランナーのたとえは、私も少し考えたことがありましたし、とてもよくわかりました。
私の書きとめていることが役に立つことがあったらうれしいです。これからもお互い頑張りましょう!

2016/07/25 (Mon) 17:05 | yoshi #ZQHR2uUw | URL | 編集

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