2014.10.01
Wed

メンデルスゾーンのチェロ協奏曲?

最近エチュードとして弾いている「12のカプリース」を書いたピアッティ(Carlo Alfredo Piatti,1822-1901)は、 優れたチェロ奏者として同時代の作曲家にも大いに評価され、リスト(1811-1886)にリサイタルに呼ばれ、新しい楽器を贈られたりしているし、 メンデルスゾーン(1809-1847)がチェロソナタ第2番を作曲するときに助言を求められたりしたらしい。

実はメンデルスゾーンは、チェロ協奏曲も書こうとしていて、ここでもピアッティに助言を求めていたらしいけど、その楽譜はピアッティとのやりとりするうちに失われてしまった、という話…メンデルスゾーンにチェロ協奏曲があったら!

ICSにピアッティの略歴を書いたシカゴ交響楽団のDavid Sanders氏によると「配達中に失われた」とのこと。また、イギリスのClassicFMに「こぼれ話」的に紹介されていたでは、献呈者(おそらくピアッティ)の下へ送られる途中「馬車から落ちた」とあり、ご丁寧にイラストまで添えられてあるけど、上記と同じソースかも知れない。

それにしてもメンデルスゾーンは楽譜の「控え」を取っておかなかったのか? 紛失したとしてももう一度書き起こす気力も湧かなかったのか? このあたりの経緯がもう少し知りたいところ。

R. Larry Toddという人のメンデルスゾーンの伝記[books.google]によると、メンデルスゾーンがピアッティと出会ったのは1844年で、 それ以降のどこかの時点で、ピアッティにチェロ協奏曲の1楽章の楽譜かあるいはスケッチかを見せているけれど、 ピアッティは「(メンデルスゾーンのあの)バイオリン協奏曲には遠く及ばない」と見ていたことを示す記録(書簡)があるらしい。

メンデルスゾーンが亡くなるのがピアッティと出会ったわずか3年後の1847年だから、メンデルスゾーンにとっては残された時間が足りなかったかも知れない。

(まあ、とにかく「バックアップは取っておきましょう」ということですね…)

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