2014.02.11
Tue

ソロコンサートを聴く

「チェロの日」初日、チェリスト4人がチェロソナタの名曲を続けて弾くソロコンサートを聴いた。

芸大3年と一番若い伊東裕さんのベートーベンの3番ソナタは、生き生きとしていて音がのびやか。 特に3楽章でめくった楽譜を落としてからのほうがさらにのびのびと弾いておられるように感じた。

河野文昭さんはいちばん年齢的に近いはずだが、R.シュトラウスのソナタOp.6を若々しく、ときに足を踏み鳴らしながら。エネルギーと楽しさが伝わってきた。

ショパンのソナタOp.65を弾いた神奈川フィル首席の門脇大樹さんは今回まで存じ上げなかったけど、力強さと上品さとを両方感じるすばらしい演奏。

最後に聴いた倉田澄子先生のフォーレのソナタも味わい深かった。アンコールのフォーレ「エレジー」のあと、なお続く拍手に「もう一曲?」というふうに指を立てるチャーミングな仕草で一層拍手が盛り上がり、ラベル「ハバネラ」。

***

4人それぞれにキャラクターの違うチェリストの演奏を聴いたあと、最近世間で話題になった事件のことを考えてしまった。

全聾の作曲家が書いたとされる曲がゴーストライターの手によるものだったという例の事件で、 これについて「純粋に音楽だけを聴けばいい」「音楽以外の『物語』を見るのがよくない」と口にしたり書いたりし、「感動が裏切られた」と言う人が悪いかのように言う人がいる。

ならば、この日のコンサートのように、ひとりひとりの演奏家の年齢や経歴を知り、姿を目で見て、そこから想像される人となりのようなものにまで思いを馳せながら聴くのもまた「正しくない」聴き方だろうか? 情報をなるべく排除し、純粋に演奏だけをカーテン越しか何かで聴くのが音楽や演奏家との「正しい」接し方だというのだろうか?(オーケストラ奏者のオーディションではそのようにすることがあると聞く)。

なるほど、ときに音楽にまつわる「物語」の過剰には「やれやれ」という気持がすることがあるから、「純粋に音楽だけ」という考えにも一理あると思わなくもない。よろしい、それなら音楽では障害も病も震災も鎮魂も、全部「なし」だ…

さらにその考えを突き詰めると、われわれアマチュアが演奏して音楽を楽しむことも、それを聴いてもらうことも、 ひとりひとりに(音楽以外の)人生がある中で音楽や楽器に出会って楽しんでいるという「物語」を支えにしているところがある。それを抜きにしたら、アマチュアの音楽なんてまるで価値のないものだ、ということになりはしないだろうか…とそんなことまで考えてしまったのだった。

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タグ : チェロの日 

コメント

NoTitle

吉岡さま
まったく同じことを考えていました。
その通りです。

2014/02/11 (Tue) 13:03 | 田丸一男 #- | URL | 編集

> 田丸さん
ありがとうございます。まだもやもやとしているところですが、コメントうれしいです。

2014/02/11 (Tue) 15:08 | yoshi #mQop/nM. | URL | 編集

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