2014.10.29
Wed

カザルスの名言の出典

ツイッターなどをながめていると、有名人が言ったとされる名言・箴言がたくさんの人にツイートされているのを見かけます。 ただ、多くはいつどういう文脈で言ったのか、原典が示されず、 本当にその人がそんなことを言ったのか?みんなが受け取っているような意味で言ったのか? よくわからないケースがたくさんあります。
Complete Published EMI Recordings 1926-1955 Import
Pablo Casals

そうしたものの中には偉大なチェリストが言ったとされることばもあります。英語圏でよく流れているものの一つが:

The legendary cellist Pablo Casals was asked why he continued practice at age 90.
"Because I think I am making progress," he replied.

伝説のチェロ奏者パブロ・カザルスは、90歳になっても毎日練習を続ける理由を尋ねられて答えた。
「まだ上手くなっていると思うんだよ」。[※拙訳]

この言葉を、パブロ・カザルス(1876-1973)が実際に言ったのか?言ったとすれば、いつどういう状況か?…Quote Investigator(「名言探偵」)という、古今の名言・箴言の原典を調べているサイトが調べた記事がありました。

I Feel that I Am Making Daily Progress - Pablo Casals? Apocryphal? [Quote Investigator 14.02.12]

かいつまむと、カザルスは実際にこれに近い発言をした証拠があるのだそう。

最初は、戦争が終結に向かおうとする1944年、カザルスが「練習を再開しました。日々進歩しているのを感じます」とニューヨークタイムズの記者宛ての手紙に書いているらしい。このときカザルス67歳。

次は1958年、アメリカのコラムニストLeonard Lyons(1906-1976)という人が、当時カザルスを描いた映画の監督とカザルスとの間のやりとりとして、上の言葉とほぼ同じことを書いているのだそう。 カザルスが80歳になった頃のこと。このときの言葉が翌1959年5月のリーダーズ・ダイジェスト誌に下記のように引用されたので、これが広まったのかも知れない。

The world’s foremost cellist, Pablo Casals, is 83. He was asked one day why he continued to practice four and five hours a day. Casals answered, “Because I think I am making progress.”
— Leonard Lyons

***

日本語でよく流れている「名言」としては、ヨーヨー・マ

人生でいちばん大事なことは「心地よさ」を感じること。偏見をもたないこと。
と言ったというのが、たくさんの人に繰り返されているのですが、出典を書いている人を見ません。 不思議なのは、流れているのは日本語ばかりで英語バージョンを見ないのです。

これはヨーヨー・マがいつどういう文脈で誰に向かって言った言葉なんでしょうね?あるいは、本当にヨーヨー・マはそんなことを言ったのでしょうか?

タグ : パブロ・カザルス  ヨーヨー・マ 

2014.10.07
Tue

アングルのバイオリン

美の20世紀〈11〉マン・レイ (美の20世紀 11)

先日のフィギュアスケートの衣装にチェロが描かれているのを見て、 何度か見たことがある右の写真を思い出したのですが、これはアメリカの写真家、マン・レイ(Man Ray, 1890-1976)というひとの"Le Violon d'Ingres"という有名な作品であることを知りました。

この題名"Le Violon d'Ingres"、フランス語で「アングルのバイオリン」のアングルとは、フランスの画家ドミニク・アングル(Jean-Auguste-Dominique Ingres, 1780-1867)のことで、マン・レイはこのアングルが裸婦を描いた絵画に強くインスパイアされたのだそうです。
アングル・「ヴァルパンソンの浴女」 プリキャンバス複製画・ ギャラリーラップ仕上げ(6号サイズ)

では、なぜ「…バイオリン」で、モデルの女性の背にf字孔なのかというと、画家アングルはバイオリン奏者としても優れていて、あのパガニーニ(Nicolo Paganini, 1782-1840)と一緒に弦楽四重奏を演奏するほどだったのだそうで、今でもフランス語で"violon d'Ingres"(ヴィオロン・ダングル)、「アングルのバイオリン」というと、「本格的な趣味」を意味する慣用句になっているのだそうです[Paul Getty Museum, ja.Wikipedia]。

日本語で「玄人はだし」というようなものでしょうか。それよりもう少し「本業がどちらかわからない」ことまで言っていそうな気がします。

(作品のイメージには、amazonの関連商品へのリンクを使わせてもらいました)

2013.10.26
Sat

セロテープ

きょうの朝日新聞土曜beの記事が面白かったので。「セロテープ」の「セロ」と「チェロ」とは関係ないと思っていたけど、朝日新聞によるとそうでもないという…

(キミの名は)セロテープ [朝日be 13.10.26]

…ネーミングはニチバン社内の公募で決まった。発案者は音楽好きの社員で、弦楽器のセロ(チェロ、cello)から発想し、採用された。
なんとなく「セロハンテープ」が「セロテープ」の由来と思いがちだが、順序が逆だ。
ニチバン広報宣伝室によれば、「セロテープ」の発売後、「セロハン」と「テープ」をくっつけた一般名称の呼び方が広がっていったという。
ニチバン セロテープ セロテープ大巻 15mm×35M 5巻入り

「セロテープ」がニチバンの登録商標(1959~)なのはよく知られている通り。アメリカでは同様に登録商標でScotch tapeと呼ばれたりする。

ただ、「セロテープ」という名前が、実際にセロハン(cellophane)でできていることや、上の記事を書いた人は知らなかった(か、知っていてわざと無視した)のかも知れないけど、イギリスには1937年からすでにSellotapeがあったこととは関係なく考案されたかというと、あまりそういうことは考えにくい。

あったとしたら、当時ニチバンで社員に意見を求めたら、「『セロテープ』でいいじゃないですか。楽器の『セロ』みたいで、なんとなくイメージがいい」という意見があった…というくらいではないかとなんとなく想像します。

「セロテープ」→「セロハンテープ」という順序の話は「固有名詞が広まった後で一般名詞が広まった」という話で、「宅急便」と「宅配便」みたいな話ですね。

関連過去記事: ビューラーは登録商標

2013.05.09
Thu

右肩上がり

今月6日までの連休の期間中に起きた山の事故は全国で67件、死亡と行方不明の方が16人にも上ったとのこと[NHK]。 このニュースを伝えるNHK朝の番組で「近年、山の事故件数が右肩上がり」であるとの解説があって、ちょっと違和感を持った。「右肩上がり」というとまるでなにか「いいこと」のようではないか?

みぎかた‐あがり【右肩上がり】1 《グラフの線で右に向かって上がっていく形から》後になるほど数値が大きくなること。後になるほど状態がよくなること。右上がり。「業績が―に伸びる」「―の成長率」 2 文字の書き方で、水平ではなく右側をやや上げて書くこと。右上がり。[大辞泉]

この「後になるほど状態がよくなること」というのが、個人的な感覚に近い。 報道では確かに「よくないこと」にも「右肩上がり」を使う用例もあるようだが、どうなのだろうか。

山岳遭難が右肩上がりで増加している。[毎日新聞 13.01.21]

厚生労働省によると、全国の児相の相談対応件数は、00年の児童虐待防止法施行後も右肩上がりで、11年度は5万9862件と最多を更新した。 [読売新聞 13.04.23]

大相撲に「右肩上」という四股名の力士がいて[大嶽部屋]、現在東幕下30枚目。がんばってほしい。

2011.05.17
Tue

はじめてtsunamiを英語で書いたのは小泉八雲

小泉八雲記念館で津波関連特別展 [山陰中央新報 11.05.11] 仏の畑の落穂―他 [単行本] 小泉 八雲 (著)

日本語の「津波」がtsunamiとして英語にもなっていることはよく知られていると思いますが、 このtsunamiを初めて英語の文献に使ったのはなんとあのラフカディオ・ハーン=小泉八雲だったのだそうです。1854年の安政南海地震のときの史実を基にしたA Living God(生ける神,1897)という短編で、津波の危険を察知した老地主が自らの田の稲に火をつけて村人を高台に引き寄せ多くの命を救ったという、後に「稲むらの火」として知られる話。ハーンにとってはこの話に出てくる日本人の共同体意識が驚きだったのでしょう。

この原文と翻訳は「稲むらの火」研究グループのサイトで読むことができました。

ただし、実際に広くtsunamiが使われるようになったのは、ハワイにPacific Tsunami Warning Center(太平洋津波警報センター)が出来た1949年以降のようで、この経緯はWikipediaにも詳しく載ってました。

前にも使った古今の図書における単語の言及頻度のグラフ。青がtsunami、同様に英語になっているtatami(赤)との比較。tsunamiは1950年代以降ようやく使用頻度が上がっています。
tsunami.png

2011.02.22
Tue

鳥肌が立つ

チェロコングレスのコンサートで感動したことをあちこちで語っているうち、ふと「鳥肌が立った」という言葉を使いそうになった。しかし、これは「誤用」ではなかったか?

「鳥肌が立つ」は、本来、恐怖などを感じたときにもっぱら使われた言葉。これが感動したときにも使われるよう変遷してきていることがはじめて(?)世間で話題になったのは文化庁の平成13年(2001年)度の「国語に関する世論調査」で、 若い世代ほど「鳥肌が立つ」を恐怖・感動どちらの場合でも使う人が多く、高齢者ほど感動の意味では使わない傾向が明らかになった。「本来ではない」「昔はその使い方をしなかった」というのが「誤用」の根拠。

ところが、近年「感動の鳥肌」が、国語辞典などでも認知されるようになった。 広辞苑 第六版

広辞苑第六版(2008年)では第五版(1998年)になかった下記の記述が追加されている。

○鳥肌が立つ 寒さや恐怖・興奮などの強い刺激によって、鳥肌が生ずる。総毛立つ。肌に粟を生ずる。仙源抄「いららき。さむくて鳥肌のたちたるけしき也」。「数学と聞くだけで鳥肌が立つ」 ▽近年、感動した場合にも用いる。「名演奏に鳥肌が立った」 [広辞苑 第六版 2008年]

「感動の鳥肌」を擁護する論拠には大きく下記がありそうに思える。

  1. 言葉は変遷するもの。使う人が十分増えればそれが正しい。「すごい」の使われ方の変遷と同様。
  2. 事実だから正しい。「だって私ほんとうに感動すると鳥肌が立つもん!」。医学的にも、感情が動けば交感神経が反応することで説明がつくらしい。

また、英語でも goose bump を恐怖と感動、両方の意味で使っているのを見るから、言語を問わず人間の“自然”な表現だという主張も成り立つかも知れない。英語ではじめから両方の意味で使われていたのか、それとも日本語と同じように変遷があったかどうかは知らない。

それでも「感動の鳥肌」を誤用だとする主張が根強いのには、感動を個人の身体感覚で安易に表現してしまうのは「ちょっとはしたない」という感覚もあると思う。あまりにも使われすぎて陳腐化しているから嫌い、という感覚もあるかも知れない。

かといって別の言葉があるかというと、「感動した」「胸がおどった」「涙がこぼれた」「ぞくぞくした」「ぞわぞわした」....などありそうにも思えるが、「鳥肌が立った」に適切に置き換わる言葉を見つけるのは難しそうに思える。

そういうわけで、先週のサントリーホールのステージに百数十名のチェリストがずらりと並び、音が重なり合ったときのあの感動を表す言葉には困っているのだが、あのときいっしょにステージにいた人が「鳥肌が立ったね!」と言うのには「そうだよね!」と百パーセント共感してしまうのだ。

2010.08.26
Thu

「秋波」はなぜ秋の波か

政界で誰かが誰かに「秋波を送る」というニュースがしきりと流れますが、「秋波」(しゅうは)とは何か?

しゅう・は 【秋波】1 秋の澄渡った水波。2 美人の涼しい眼元。 3 いろめ。よこめ。ウィンク。 -を送る いろめをつかって、慕う心のあることを相手方に示すにいう。ウィンクする。[広辞苑]

しゅう・は 【秋波】色目・流し目の意の漢語的表現。ウィンク。「-を送る」 [新明解国語辞典]

この語源・由来は、南唐の皇帝にして文人の李煜(りいく 937-978)の漢詩の次の一節であるとされているよう。

眼色暗相鈎 眼色暗(ひそ)かに相鈎(いざな)い
秋波横欲流 秋波横ざまに流れんと欲す

この原典にまだきちんと当たっていないのですが、これははっきりと女性の(ここでは宮廷で音楽を奏でている女性奏者が皇帝である自分に向ける)流し目のことを言っているよう。

しかし、この由来を聞いても疑問が残るのは、
「なぜ『秋の波』か?」
ということ。

いろいろと見るうち、より古い次の漢詩にあたりました。唐代の詩人、温庭筠(おんていいん 812-870)の詩。

玉繊弾処真珠落    玉繊 弾く処 真珠落つ [※玉繊 細い指]
流多暗濕鉛華薄    流るること多くして暗(ひそ)かに濕(し)めす 鉛華の薄きを [※鉛華 おしろい]
春露浥朝華       春露 朝華を浥(うるお)し
秋波浸晩霞       秋波 晩霞(ばんか)を浸す

これは明らかに女性の涙を唄ったもの。

つまり「秋の波」は、女性の涙を喩えるのに「春の露」の対句として発想されたのではなかったか? 美STORY (ストーリィ) 2010年 09月号

そして、もしひとたび「秋波」が「女性の涙」の比喩表現として認知されたならば、そこから「女性の涙」→「美人の潤んだ眼元」→「色目・流し目」…と意味が転ずるのに、そう時間はかからなかったであろうと、男性の立場からすると、容易に想像できるのであります。

2010.05.10
Mon

三辞三譲

今回カルテットで名曲を弾かせてもらったのは、本当に幸運でした。 思えばチェロ歴もまだ浅いうちからチェロアンサンブルの楽しみもカルテットの楽しみも経験させてもらえたのは 人との出会いに恵まれているおかげと感謝しています。

と同時に、きょう奇しくもgoshuさんが書いておられるとおり「誘われたら断らない」、 「弾くチャンスがあったらどんどん弾かせてもらう」態度を「努めて」貫いていることも幸いしていると思います。

みんなが遠慮していたら「はい」と手を挙げる、トップバッターでも何でも弾く、上手な方と弾けるならなおさら。 そうした積極的かつ図々しいともとられかねない態度は、本来の私の性分ではないし、また実生活においてはリスキーなことも多いのですが、こと趣味に関してはたいしたリスクがあるわけでもないので貫いてもいいのではないでしょうか。

「どうですか」と誘われたら、「いや、私なんかへたですから」と一度謙遜するくらいはいい。ただ、たいてい相手はそんなことは承知の上で誘ってくれている。 「まあそういわずに」と誘ってくれるのを断ったら「またこんど」のチャンスはないかも知れない。チャンスには前髪しかない。 とくに、すでに3人揃っていたら絶対に断ってはならない 小笠原流礼法・美しいことばとしぐさが身につく本 「おそれいります」

「三辞三譲」という言葉は「三回くらいは辞退しなさい(でないと図々しいと思われる)」という意味かと思っていましたが、 そうではなく「三度も勧められて三度も断ったら遠慮のしすぎ」と戒めることばらしいですね。

京都に行って「ぶぶ漬けでもどないどすか」と言われたら、「いや、もうこのへんで失礼します」というくらいの常識はわきまえているつもりの私も、 趣味の場だったら「二辞二譲」でも遠慮のしすぎじゃないか、という気がします。

タグ : カルテット 

2010.03.09
Tue

face the music

Britain's Davis Cup disaster: who is to blame? [Telegraph.co.uk 10.03.08]

もう一つイギリス。先週末、テニスの国別対抗戦デビスカップでイギリスはリトアニアに2-3で敗戦。 イギリスはここ3年デビスカップで勝ちがなく、6月のトルコ戦に敗れるとさらに下部リーグに落ちる危機だそう。 世界4位のマレーを休ませるとイギリスもこの程度なんですね。ジョン・ロイド監督(元選手でエバートの元夫)や協会(LTA)に批判が集まっている。

この見出し→John Lloyd faces the music as LTA demands answers [timesonline.co.uk 10.03.09]

Face the music というのは「報いを潔くうけとめる」「困難に立ち向かう」との意味の熟語だそうです。 1850年頃にアメリカで使われるようになった表現で、その由来は、劇場の袖でおびえている新米役者にオーケストラピットの音楽に向き合え(観客に向き合え) と言って送り出すことに喩えたのが由来とする説と、軍楽隊の音楽に向き合う(毅然としろ)ことに喩えたという説とあり、 由来は定かでないのだそうです[World Wide Words: Face the music]。

Music には「楽譜」の意味もあるから、「楽譜に向き合え」でも「困難に立ち向かえ」という意味で通りそうな気がするけど。

2009.10.10
Sat

マイダス・タッチ

さいきんのヨーヨー・マのことを思って、なんとなく「触れたものがすべて金に変わる」という王様の逸話を思い出しました。ギリシャ神話のミダス(Midas, マイダス)王の話です[ja.wikipedia]。

なんだか「ヨーヨー・マと共演」というのが「金」の勲章になる。ヨーヨー・マはたぶん「いろんな人や音楽と出会って学びたい」と思っているだけなのに、その「金」を求めて近づいてくるひともいる。それはありがたいことかも知れないけど、ミダス王のように日常的に食べたり飲んだりするものまでが「金」に変わってしまうのを感じて、「なんだかなあ」と不自由に感じることもあるのではないかと。

そして、きのうノーベル平和賞受賞が決まったオバマ大統領(驚きました)も似たような不自由さを感じるかも知れないなと、そんなことを思いました。 ギリシア神話〈上〉 (新潮文庫)

ところで、べつの有名な逸話「王様の耳はロバの耳」に登場する王様というのも、じつはこのミダス王だったというのは初めて知りました(知ってましたか?)。

「金」の一件で懲りたミダス王は田園の神パーンの崇拝者になるのですが、パーンの笛(パンフルート)とアポローンの竪琴の演奏くらべに立ちあい、パーンに軍配を上げたためにアポローンの怒りを買い、ロバの耳にされてしまったのだそうです。そのあと、床屋がばらしてしまういきさつはご存知の通り。

まあ、安易に「神」レベルの音楽の優劣を口にしたりするものではない、ということですね。

タグ : ヨーヨー・マ 

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