2017.10.20
(Fri)

今週の練習

今週も開放弦のボウイング、スケール、日替わりのシュレーダーは159番、90番、103番、91番、113番、71番…。そしてバッハの組曲4番から。

日替わりのシュレーダーといっても、その日開いたページがピアッティだったりすると、そっとページを閉じて別のエチュードを選び直したりする。ようするに、その日弾けた気になる曲でないとやる気にならないのだ。

1回目は、譜読み。前に弾いたことを思い出せる曲もあるし、そうでない曲もある。2回目は、時々停めて楽譜に書き込みをしながら。数年前に弾いた楽譜は、指番号などよけいな書き込みがやたらとある割に、大事なこと(と今は感じること)が書き込んでなかったりする。そして、3回目に本番のつもりで停まらずに。

年が明けたら、レッスンのことも考えようか、と思う。160212.jpg

2017.10.07
(Sat)

今週の練習

開放弦のボウイング、スケール、日替わりのシュレーダー。あとは日によってバッハの4番から1~2曲、オーケストラの曲から抜粋など。

***

11月のオーケストラ本番を前に、エキストラをお願いしたチェロが練習に加わってくれる。

エキストラのチェロには毎年、経験豊富で、新しく加わっても黙ってスッと溶け込んでくれ、 それでいてしっかりとした音を出してくれる人が加わってくれるので頼もしいし、チェロパートとしても鼻が高い(「トラの威を借る」は前にも言ったか…)。

今年来てくれた人はもう3年目。反省会で一緒に飲んでいて、誰かが「どうしてそんなに弾けちゃうんですか?」と聞いたら
きちんとカウントすること、心掛けているのはそれだけです」
という答えが返ってきて、なるほどと思った。

このひとの言う「きちんとカウントする」というのは、単に、休みの小節をきちんと数えて入るタイミングを間違えない、というようなことだけではなく、 楽譜に忠実な音の長さで弾くことだとか、拍を時によって8分音符や16分音符で感じることだとか、指揮をよく見ることだとか、周りの音をよく聞くことといった、 ようするにオーケストラで弾くために大切なことをたくさん含んでいるのではないかという気がした。 飲んでいたので前後の会話の内容は忘れてしまったのだが、いつか自分もこのセリフは使おうと思った。

タグ : オーケストラ 

2017.09.29
(Fri)

楽器調整と弓毛替え

気候も良くなってきたので、楽器の調整と毛替え。今回初めての楽器店にお願いする。

楽器のメンテナンスをお願いする店にはいつも悩む。あまり遠いのも困る、職人さんに話を聞けないのも不安、かといって職人さんに叱られているみたいなのも嫌…というわけで、これまでなかなか店が固定しなかった。

今回は楽器を2日間預けて駒を調整してもらった。合わせて魂柱の調整と内部のクリーニングも。新しい松脂も薦めてもらう。弦交換はまたの機会に。ここはまたお願いするつもり。帰って楽器を鳴らしてみたら、まったく違った響きになっていた。

タグ : チェロ道具 

2017.09.23
(Sat)

初ピアノトリオ

初めてのピアノ三重奏の合わせ。

ピアノ三重奏というのは、弦楽四重奏ともピアノ四重奏とも違って、チェロは華やかで自己主張の強いバイオリンとピアノとに一人で対峙しなければならず、よりごまかしが効かず、なかなか大変。こうしてみると室内楽におけるビオラという存在は、チェロにとって大切な「同志」で、仲良くしておかなければ…と思えてくる。

この日合わせてみたのは、ハイドン「ジプシー」、メンデルスゾーン第1番1,2楽章、それにドボルザーク「ドゥムキー」の5,6楽章。

メンデルスゾーン1番1楽章冒頭のチェロのソロは、事前の研究不足でバイオリンに指摘されて初めて気づいたのだが、 ダウンから弾き始めるものらしい[譜例:IMSLPからのものにボウイング記号をペースト]。
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たしかにマイスキー(キーシン、ジョシュア・ベル)や 堤剛先生(中村紘子、海野義雄)をはじめ、ほとんどの演奏がそう弾いている。これがわかって、格段にそれらしく弾けるようになった気がした。

ピアノ三重奏でいいことの一つに、YouTubeにある演奏動画で(弦楽四重奏の場合などと比較して)チェロが見切れていることが少ないので、プロのボウイングを参考にしたいときにも都合がいい、というのがある。

来年披露することを目標に、これから時々集まって合わせてみることになった。

タグ : カルテット 

2017.09.19
(Tue)

敬老の訪問演奏

敬老の日、区内の養老施設でカルテット演奏させていただいた。

前にも書いたように、自分は趣味としてそう長くない年数やっているだけの自分の演奏を「だれかのためにする」のは「おこがましい」と思っていて、この日、聴いてくださっただけでなく、いろいろと配慮し、優しい言葉を掛けてくださった入居者やスタッフの方々には、ただただ恐縮した。

アマチュア演奏家が、友人や家族でもない人のために演奏する場に出て行く「資格」があるだろうか? そうして何かを"give"できるということがあるだろうか?...というのが、趣味として音楽をやっていてずっと抱えている──けれども普段そういう場に直面しないので時々しか思い出さない──疑問。

長く生きてこられた方々──ちょうど親ぐらいの年にあたる──のお祝いに、自分たちの演奏が果たして相応しいと言えるだろうか?…たしかに、地元に住む、息子くらいの年のアマチュアが、一生懸命何かをして差し上げることには、多少の意味があるかも知れない。 でも、過疎の村ならともかくこの東京にあって、地元に優秀なプロの音楽家たちならたくさんいるのだ。 あるいはもっと若い、区内の児童生徒にだっていい演奏や合唱をするグループがあり、その姿を見るだけでもお年寄りたちは喜んでくださるに違いない...

***

曲目は、パッヘルベルのカノン、モーツァルトK.136第1楽章のほか、タンゴ、マーチ、そして「川の流れのように」(チェロにも旋律があって、これはこれでとても勉強になった)。「椰子の実」「ふるさと」ではみなさんが声をそろえて歌ってくださった。 演奏が終わると、この日、白寿のお祝いをされた方から第1バイオリンに花束を頂き、これまた大変恐縮した。

選曲について、お年寄りだからこういう曲がいいだろう、などとアマチュアが「忖度」すること自体も「おこがましい」と思えてならない。 第一、お年寄り向けならそろそろビートルズや(「やすらぎの郷」ならば)中島みゆきを入れなきゃ、という時代だって、すぐ近くに来ていると思うのだ。

2017.09.11
(Mon)

ハイドンのピアノ三重奏曲「ジプシー」

今度合わせてみようと言っている曲の1つが、ハイドンのピアノ三重奏曲第25番「ジプシー」。3楽章のハンガリー風のロンドが印象的なのでこういう名前で呼ばれるものの、全体としてはハイドンらしく「かっちりと」弾くものだろうと思っていたら、軽やかで楽しげに弾くこの演奏を教えてもらって、すっかり気に入ってしまっているところ。オランダのストリオーニ・トリオの演奏。

2楽章3楽章

動画の説明によると、アムステルダムで夏に行われるGrachtenfestival(運河祭り)での演奏で、収録時期はおそらく2009年8月。運河に浮かぶ小舟や岸で思い思いに演奏に聴き入る人たちが楽しそうだし、街の風景が美しい。

なんだか、曲が気に入ったのか、この動画が気に入ったのか、よくわからなくなっているようなぐあい。

2017.09.09
(Sat)

今週の練習

日曜日、オーケストラの集中練習。11月の演奏会が近づき、指揮の先生の指摘も細かくなってきた。

pachelbel.jpg某日、いわゆる慰問演奏の選曲がてら合わせ。チェリストには悪名の高いあのパッヘルベルのカノンを初めて弾くことになった。

この曲のチェロは、右を28回延々繰り返すので、弾いているうちにどこを弾いているのかわからなくなったり、気がつくと曲が終わっていたりする…。

思うに、「2小節を28回」と思うから意識が遠のくのであって、2小節のチェロのソロ+8小節+8小節+....というふうに考えればいいのではないかと思った。

日々の練習では、開放弦のボウイング、スケール、日替わりのシュレーダー、バッハの4番から。少し先に合わせるピアノ三重奏曲の譜読み。メンデルスゾーンの1番1楽章、ハイドンの「ジプシー」など。これは楽しみ。

2017.08.31
(Thu)

演奏中の表情の問題

これはだれでもがコンサートなどに行った後で思いをめぐらせたことがある問題だと思いますが、 演奏中の顔や体の表情の問題について、チェリストのスティーブン・イッサーリス(58)が思うところを自身のフェースブックに書いていました。

以下ざっと抄訳すると:

- 自分の演奏をビデオでみるとぞっとすることがあるが、自分の表情や動きは、演奏している音楽に反応した結果生じた、真正のものだと言い訳させて欲しい。
- 昔は先輩チェリストに「やりすぎ」だと注意され、それ以来、自分が感じている以上の感情は出さないようにつとめている。
- 特に若い演奏家が、写真など演奏以外で見た目を重視する傾向は、見ていて恥ずかしくなることもあるが、 見た目が良いのならその間は最大限利用すればいいと思っている。
- 演奏では、偉大な演奏家はほとんど顔の表情は変わらない。カザルスなどは仏像のようだ。 しかし、深刻な音楽もハイドンやベートーヴェンの作品にあるようなユーモアも、同じように苦悶の表情で演奏するのもよくない。
- 演奏の見た目を気にしすぎる必要はない。作曲家は作品に感情を十分込めてくれているのだから、それをそのまま聴衆に伝えること。 しかし、演奏しながらその音楽に反応してしまうのもまた自然なことだ。偽りの仮面をかぶることは、作品と聴衆の間のじゃまになる。
- 残念ながら、メロドラマ風の表情をつくることが成功への近道のように感じたりすることもある。 聴衆もよくそれにだまされるが、音楽的な真実は損なわれる。 われわれ演奏家の目標は、聴衆がわれわれをどう思ったかにでなく、音楽そのものが語ることを聴衆が聴けたかどうかにあるのだ。
[原文]

この問題についてはイッサーリスがほぼこの文章で言い尽くしてくれているように思います。

ただ、もうひとつ「顔の表情をつくることが、体の動きにつながり、そこから奏でられる音が変わる」ということもあるのではないかなと思います。 このことを言っているのが下のマスタークラスの動画で、若手のレオナルド・エルシェンブロイヒ(32)がさらに若手チェリストに
「明るい音色を出すときには、顔を明るくするんだ」
というようなことを言っているのです。

さらに、このことから連想するのは、よくテニスで選手が握り拳を握ったり「カモン!」と声をあげたりといった「ポジティブなボディ・ランゲージ」を出すことが、自分のエネルギーを増大させるとされ、コーチなどにもそうするよう指導される、という話です。 まあ、もちろん、スポーツの試合と音楽の演奏とでは違うのですが…

タグ : スティーブン・イッサーリス 

2017.08.28
(Mon)

先週の練習

引き続きバッハの無伴奏組曲4番ブーレ、アルマンド、クーラント。シュレーダーから1曲日替わりで。

土曜日、チェロ四重奏(ヨンゲン「2つの小品」)の練習。全員が全パートを弾く計画もついに最終第4セットに入った。最後に弾くことになったのは4パート。

レッスンを辞めたことについて、仲間が話を聞いてくれる。ちょっと心配してくれていたよう(すみませんでした)。 いろいろ話しているうち、いずれ自分がどのように弾きたいかがはっきりしてきたら、 そのとき「レッスンをして欲しいチェリスト」ならたくさん思い浮かぶことに気がついて、なんだか希望がひらけてきた。

9月から始まる、自分にとって新しい経験となる室内楽の話が2つ。 1つはピアノ三重奏で、先日ピアノ四重奏でがんばったご褒美と思うことにしている。

もう1つは、いわゆる慰問演奏のカルテットで、実はこれまでこのような場は避けてきたのが、今回仕方なく引き受けることになってしまった。 これまで避けてきたのは、自分はあくまでアマチュアとしてつたない演奏を「聴いていただく」立場であって、不特定のだれかに「聴かせてあげる」、つまり自分は演奏によって何かが"give"できるとする立場に立つのは「おこがましい」、場合によっては聴き手に「失礼」なことだと思ってきたからだ。残念ながらこの考えは、自分の中でもモヤモヤしているせいか、音楽仲間にあまり理解されない…ただ、引き受けてしまった以上はそれなりの覚悟でのぞむつもり。このことはまた書くかも。

2017.08.19
(Sat)

今週の練習

前の記事で見つけた演奏に触発されて、バッハの無伴奏組曲4番ブーレ。繰り返し上昇する旋律で気分が明るくなる。バッハは久しぶり。アルマンドも少し。

シュレーダーの2巻か3巻からその日パッと開いたページを弾く、というのもやってみる。レッスンを辞めたので、日々の練習に何を課すか、いろいろ手さぐりしてみているところ。

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