2017.03.30
Thu

チャイコフスキー交響曲第4番2楽章の旋律

今年オーケストラで取り組んでいるチャイコフスキー交響曲第4番の2楽章を練習していて気づいたこと。 ここは哀愁漂うゆったりした旋律をオーボエ→チェロ→ビオラ→バイオリン...と、同じ旋律をかわるがわる受け継いでいくところ。

この旋律は、ちょうど先日、宮田大さんが「エストレリータ」を弾いたNHK「らららクラシック」の「胸がキュンとなる名曲集」(Eテレ 3月11日放送)でも、「チャイコフスキーの哀愁」を代表する旋律として取り上げられていた。司会の加羽沢美濃さんの言葉を借りると、オーボエによる「独白」があって、チェロで「仲間」が寄り添い、ビオラが「共感」を集め、やがてバイオリンによって「浄化」され、最後にファゴットが「希望」を表すといったように、同じ旋律を楽器を替えて奏でることによってストーリーが生まれる…といったことだった。

この2楽章の「胸キュン」の旋律が、とても細かいことではあるのだが、なぜかチェロが弾くときだけ1音違うのだ。 譜例(17~29小節)の28小節にある赤く丸で囲った音はラになっているが、前後にある他の楽器の旋律では全てファになっている。
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チェロだけ線を1本間違えて書いたことも考えられるが、スコアでもこの通り「ラ」になっているので単純なミスとは考えにくい。同じ旋律を楽器を替えて引き継ぐ、という一貫性を考えれば「ファ」なのかも知れないが…

演奏例を見ると、カラヤンのこれなどはチェロも「ファ」で弾いている。バーンスタインのこれも「ファ」で弾いていた。その一方で、「らららクラシック」で流れたブロムシュテット指揮N響の演奏では「ラ」で弾いていたように思われた。下のバレンボイム指揮シカゴ響の演奏でも「ラ」で弾いている(0:57あたり)。

困ったことに、どちらでもこの上なく美しい旋律であることに変わりがなく、どちらも「あり」だと思えてくるのだ…こんどの練習のとき、指揮の先生にうかがってみるつもり。

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2016.12.04
Sun

来年の曲

オーケストラの定期演奏会が終わって2週間、ようやく落ち着きを取り戻してきた感がある。これから年明けまでオーケストラは束の間のシーズンオフ。

来年の曲は、チャイコフスキーの交響曲第4番。 ちょうどベルリンフィルが日本時間3日未明のコンサートでこの曲をやったらしく(指揮アラン・ギルバート)、 その前宣伝に、4年前の演奏抜粋をFacebookで紹介していた。こちらの指揮はクリスチャン・ヤルヴィ(パーヴォの弟)。コンサート・マスターは樫本大進さん。

よく見るとチェロセクションの後方には、現在は若き第一首席奏者として活躍しているブルーノ・ドルプレールの姿があり、この2012年当時まだ入団前ながらこうして演奏に参加していたのがわかる。

上は4楽章冒頭。この速くて勇壮な楽章が果たして弾けるのかと少し不安だけど、2楽章にはチェロの美しい旋律があり、楽しみ。

来年の曲にこの曲が選ばれたのは、そろそろこの曲にも「挑戦」してみませんか?…という指揮の先生の団員へのメッセージでもあると思う。 数年前に比べて団員も増え、しかも若い団員が増えて活気が出てきた。これでチェロセクションにも若い人が、もう一人か二人加わってくれると申し分ないのだが…とにかく、そろそろ譜読みを始めておこうか。

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2016.11.21
Mon

定期演奏会

オーケストラの定期演奏会がきのう20日、無事終わりました。 オーケストラで弾かせてもらうようになって7年目、「一番前」で弾かせてもらうようになって5年目の今年は、これまでより落ち着いて一曲一曲を楽しみながら弾けたような気がします。

オーケストラとしての評価はむろん色々だったし、個人的にまだまだ課題が多いと感じましたが、とにかく今年もこの日までやりとげることができ、家族や友人や地元の方たちに見守ってもらえ、そして少しは楽しんでもらえたようなのがよかったと思います。

この年齢になったこの年、ブラームスの交響曲1番を仲間たちと演奏する中にいられたことは、きっとずっと忘れないと思います。

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2016.11.14
Mon

ドボルザークの交響詩「野鳩」のこと

来週の演奏会で演奏するドボルザークの交響詩「野鳩」Op.110について、いつか書こうと思いながら書いていなかったけど、 この曲は背景にある物語が面白くて、チェコの国民詩人エルベン(Karel Jaromír Erben, 1811-1870)という人がチェコに伝わる民話・民謡を詩のかたちでまとめた、 チェコでは知らない人はいないほど有名だという詩集「花束(Kytice)」の一編、「野鳩(Holoubek)」からとられている。

この「野鳩」は、夫を毒殺して若い男と再婚した女が、3年経ったある日、故人の墓の上の木にとまった野鳩の鳴き声を聴いて良心の呵責に苛まれ、ついには狂い死んでしまうという、 ちょっとぎょっとするような話。

ドボルザークはアメリカで成功した後、母国で郷土愛に目覚めたのか、 この「花束」から「水の精」「真昼の魔女」「金の紡ぎ車」「野鳩」の4つをとりあげて連続して交響詩にしている[Wikipedia]。 このどれもが、最後は残酷な結末に驚かされるような、ちょうどグリム童話も実際には残酷で恐ろしい内容だったということを思い出すような話ばかりなのだ。
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これはちょうど日本でいえば小泉八雲の「怪談」ではないか、と八雲にゆかりがあった松江に生まれ育った者としては思い立ち、がぜん興味が湧いて、 エルベンの詩集「花束」をぜひ読んでみたくなった。 「野鳩」の日本語訳は、チェコ文化の研究家で医師の関根日出男氏(1929-)のを読むことができる。 「野鳩」を含む詩集「花束」全訳は、北海道大学の浦井康男/柴田匠両氏によるものが私家本としてまとめられていて、これを今年4月、浦井先生のクラウドファンディングに参加する返礼として送っていただいた。 英語では全訳が2つほど出版されているよう。

「野鳩」で面白いのは、残酷な結末を持つ民話は世界のあちこちにあるものだとしても、「夫を毒殺して若い男と再婚」といった、男女の仲を描いた、まるでテレビのサスペンスドラマのようなストーリーは珍しいのではないか?ということ。

それから、オリジナルの詩(の日本語訳)を読むと、夫の葬儀で涙を流していながら間もなく若い男と結ばれた未亡人が、実は夫を「毒殺」していたという事実は、約100行ほどの詩の中ほどになってようやく、未亡人の回想でほんの一瞬出てくるだけなのだ。このことが実にドラマチックで、効果的に恐ろしさを引き立てている。原文を見ると、

(原文:チェコ語)
Líbej si je, líbej,
ty žádané líce:
komus namíchala,
neobživne více! -

(浦井/柴田訳)
口づけなさい
待ち望んだ頬に:
お前が毒を盛った男は
もはや生き返らない!

訳では「お前が毒を盛った男」となっているが、チェコ語のnamíchalaというのは「(飲み物を)混ぜる」という意味らしく、「毒」という言葉は使わずに「毒殺」という事実を隠喩的に、ここで初めて明かしているのだ。

(関根訳では「怒る人がいても」となっていて、毒殺あるいは殺人という事実さえぼかしていて、これはちょっとわかりにくい)。

この語り口は、怪談話あるいは映画かドラマの映像作品として想像すると、相当にこわい。

なお、この女がなぜ夫を毒殺したかという「動機」をうかがわせる背景は、いっさい描写されていない。 初めから若い男との仲があったのか、遺産目当てか、あるいは夫に問題があって悩んでいたのか… ただ、後半でこの未亡人が激しく良心の呵責に苛まれているところから、なんとなく察せられようというもの。

その良心の呵責を思い出させるのがなぜ「野鳩」なのかというと、スラブの民話では亡くなった人が、罪のない人は白いハト、悪人は黒いカラスの姿になってよく現れるのだそう。

全体としてこの「野鳩」は物語として実によくできていると思うのだ。

[追記] では、この物語をドボルザークはどのように音楽にしているか?…を書くには力不足だけど、1点だけ。 オリジナルのエルベンの詩では、葬送→若い男の登場→婚礼→毒殺の事実の暴露…という順で物語を語っているのに対して、ドボルザークの交響詩では、場面の順を入れ替えて、葬送の後にすぐ事実の暴露を描いているように思う。このへんは音楽と文学との表現効果の出し方の違いかも知れない。

***

この物語をドボルザークが音楽にした交響詩「野鳩」では、チェロが暗いテーマを奏でるのに重要な役割を担っていて、演奏会で聴いた方たちが、このちょっとこわい物語の世界を感じてくれたらいいと思っています。

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2016.10.02
Sun

今週の練習

定期演奏会まであと2ヶ月を切って、毎週オーケストラの練習。今回の曲もどれもそれぞれに難しい。

以前とは感じる「難しさ」の質が変わってきたかも知れない。以前ほど「弾ける弾けない」問題に悩むことは多くなくなったものの、 指揮の先生の要求──というかそれが実は楽譜に書いてあることそのものなのだが──中々応えられず、毎度同じことを注意されるのが申し訳なくなってくる。集中力のスタミナの問題ということもありそうだし、出せる音量の幅の問題ということもありそう。

演奏会本番で小学生たちが歌ってくれる歌の伴奏楽譜ができあがってきて、その譜読み。

毎日の練習では、スケールとポッパーの17番(重音)、18番の先読み、あとは曲をいろいろ。

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2016.06.27
Mon

ドボルザーク「謝肉祭」

このところオーケストラのことをあまり書いていなかったけど、相変わらず月2回は練習があって、今年の曲にもそれなりに苦労している。 苦労している中のひとつが、ドボルザークの「謝肉祭」序曲で、華やかで活気のあるリズムが楽しく、いかにも親しみやすい曲ではあるけど、チェロにはなかなか厳しい。

ひとしきり賑やかな主題が終わった後、102小節からの練習番号E。ヴァイオリンと木管が哀愁あふれる優美な旋律を奏でる中、ひたすら和音を刻む。 この和音が、小節毎に少しずつパターンが変わり、しかもとにかく速い!

トレーナーの先生とも検討したけど、なかなかこれというフィンガリングがないよう。下が今のところ自分が考えて弾いている案。Eの始まりは第1ポジション。
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五線の下は、第3ポジションを起点にしようという代替案。ただし、それだと105小節のFisで困る。 それで結局、第1ポジションを起点にした上の段のフィンガリングで弾いている(128-129小節だけ第3ポジション)。 これでも126-127小節は苦しい。

なお、ヴィオラもチェロと同じことをしているけど、なぜかヴィオラの方が音が少ない。

これまで練習してきて、たいぶそれらしく弾けるようにはなってきたけど、まだついここに差し掛かると力が入って「難しいことをしているんだぞ!」と主張してしまう(楽譜では p )。何食わぬ顔で弾いて、ヴァイオリンと木管をいい気持ちにさせてあげられるようになるのが目標。

***

ドボルザーク「謝肉祭」の演奏。ビエロフラーヴェク指揮のBBC交響楽団。 問題の練習番号Eは1分48秒あたりから約30秒間で、忙しいチェロとヴィオラは映っていない。

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2016.01.25
Mon

練習会・オーケストラ練習

24日、日曜日、「チェロの日」に向けた自主練習会。文京区の新しい施設を使わせて頂く。地下鉄の江戸川橋という駅で降りたのは初めて。あの江戸川は遠いのになぜかと思ったら、付近の神田川中流をかつて江戸川と呼んだのだそう。

昨年オープンしたばかりの施設はきれいで設備も充実。ただ残響のない部屋だと、自分たちの音がシビアに聴こえてしまうようなところはあった。 そのおかげか気づいたのは、休符の前の音の長さが意外とまちまちなこと。気をつけないと。 ほぼ曲順に。出席は手元で 8 + 7 + 8 + 9 + 1 = 33名。

***

少し早めに抜け出して夜は久我山でオーケストラの練習。ドボルザーク「謝肉祭」と「野鳩」、それにブラームス1番の終楽章の初合わせと盛り沢山。

「野鳩」はチェコの民話をベースにした交響詩で、夫を毒殺して再婚した女がある日、野鳩の鳴き声を聴いて良心の呵責に苛まれ…という、ちょっとぎょっとするような話。 実にオペラ的というかミュージカル的な面白い曲で、葬送行進曲で始まり、結婚のお祝いのお祭り騒ぎもある。途中には「オペラ座の怪人」を連想させるようなフレーズもある。この曲でも、葬送行進曲の音符の長さを淡々と正確に、という注意があった。

「謝肉祭」は以前チェコ・フィルがプロモーション動画で弾いていた曲。チェコ・フィルは楽しそうに弾いているが、チェロはあまり聴こえないところで忙しくて、おふざけをしている余裕はない。

この日の朝、全豪で錦織選手がツォンガをストレートで破ってベスト8を決めたので、こちらも元気が出て、忙しい日曜を乗り切ることができた。

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2016.01.18
Mon

オーケストラシーズン開幕

日曜、オーケストラの新年最初の練習。ブラームスの交響曲第1番の初合わせ。 160117.jpg

前回の定期演奏会が終わった11月以降少し休んで、去年の暮れから譜読みはしていたのだが、今年少し自分でも進歩したのかなと思うのは、楽譜にあまり指番号の書き込みをしなくなったこと。 たとえば今回のブラームスの1番1楽章でいえば、511小節中、指番号の書き込みがある小節を数えてみたら20箇所ほどしかなかった。3~4年前の自分が見たら、こんなにまっさらに近い楽譜で弾けるものか、とびっくりしただろうと思う。

ひとつには、オーケストラの楽譜はパートナーと共有するものだから、ボウイングや指揮者の特別な注意を書き入れる以外、なるべくきれいな状態を保つように指導されたし、そう心掛けてきたということはある。

譜読みの過程で何度か弾いているうち、楽譜を見て指使いのパターンが浮かぶようになったというのもある。 たとえば1楽章の練習番号Kのあたりは、16分音符の始まりは4、とパターンとして決めてみた(それが正解かどうかはわからないが、「決める」ことが重要)。そうすると指番号を書き入れる必要なんてないのだ。

同じ音形なら同じ指使い、というのも決めておけば迷わない。

また、音が頭に入っていれば必要のない指番号というのもあって、そういうものを書き入れなくなった。

逆に、音が頭に入っていてもなお難しいパッセージで「ここをこの指で入るのが肝」というポイントや、さほど難しくなくても「ここをこの指でとれば数小節間同じポジションで弾けてとても楽」というポイントでは、まだ書き込みをしている。

書き込みが必要なくなった理由には、他にもシュレーダーなどのおかげでポジション感覚が身についてきたということもあるかも知れない…

一言で言えば「経験を積んだから」「馴れたから」で済んでしまうところかも知れないけど、経験や馴れで得たスキルとは何なのか、ついこの前まで経験がなかった時の記憶が鮮明なうちに書き留めておきたくなった次第である。※後日加筆。

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2015.11.16
Mon

いくつかハプニング乗り越えつつ本番終了

15日、オーケストラの定期演奏会が無事終わりました。 曲目は、フンパーディンク「ヘンゼルとグレーテル」序曲とチャイコフスキー「くるみ割り人形」、それにシベリウスの交響曲第2番。 いろいろ反省もあるものの、今の自分とオケとしてはできることをやりきったと言っていい出来だったのではないかと思います。

いくつか当日のハプニング。1プルト裏で弾いてくれるK先生が朝、体調不良との知らせ。 もしものときに本番でどう対応するか、色々なことが頭を駆け巡りましたが、 結局ステリハ途中から本番最後までいつも通り一緒に弾いてくれてホッと胸を撫で下ろしました。

「くるみ割り人形」では「花のワルツ」の前にハープの弦が切れるハプニング。そういえばちょうど先日、弦が切れても最後まで弾き通したチェリストを見たばかり。 ハープ奏者は落ち着いて弦を張り替え、その間、指揮の先生は客席に向かって「たまにあるんです」と言って微かな笑いをとる余裕。 もしわれわれがステージ上で弦を切ったら、とてもあんなふうに落ち着いていられないよね、と後で仲間と話しました。 ステージの上で弦を張り替えるのをお客さんと共演者が待っている…という状況を想像しただけでゾッとします。

演奏の上で緊張したのは、やはり難曲シベリウスの2番の2,3楽章。

3楽章にあるチェロの短いソロは、周りから「よかった」「歌えていた」と言ってもらえました。 思えばこの一年、ここは指揮の先生のサイン通りに弾くようにしてきただけで、おかげで「歌う」ということがどのように弾くことなのか、その一片がほんの少しだけわかったような気がしました。まだ、この曲のこういうケースでは、という限定付きですが。

定期演奏会では例年、地元の小学生が「区歌」(あまり知られていないけど、そういうものがあるんです)ともう一曲歌ってくれるのですが、今年はミュージカル「アニー」の「トゥモロー」。この歌声のかわいらしさには、オーケストラで伴奏していて、もう本当に参りました。 リハーサルのときから感じたことですが、初めはキョロキョロしていた子供たちが、音楽が始まると何かのスイッチが入ったように歌い出す、その様子はまるで一人一人がミュージカルのスターになりきったかのよう。このようにできるのは子供たちが「歌わされている」のでなく「歌いたいから歌う」ようにしてあげている先生方の指導の賜物でもあるだろうと思いました。

来年の定期演奏会のメインは、ブラームスの交響曲第1番、それにドボルザークの「謝肉祭」など。 来年またさらにいい演奏ができるようにがんばります。

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2015.11.14
Sat

明日オーケストラ本番

明日15日はいよいよオーケストラの定期演奏会。今日は最終のリハーサルを終えたところ。

オーケストラも6年目になって、本番前の緊張は初めの頃ほどではなくなったけど、いろいろなことを考え出すとあれこれ気になるのはあまり変わらないもの。ただその気になることが、自分の演奏のことだけでなく、パートのこととか、他のパートとのこととか、聴きに来てくれたお客さんは少しは楽しんでくれるだろうかとか、少し広がったのが変わったと言えば変わったところかも知れない。

思えば6年前、チェロを弾くからにはいっぺんは(本当に"いっぺん"だけ)オーケストラの中で弾いてみたい、と思って今のオーケストラに飛び込んだのだった。それが今は、本当に自分なんかで申し訳ないのだが、一番前で弾かせてもらっている。とにかく6年前のことを考えると、今年もまた本番を控えてここにいることが、とても幸運で有難いことだと思えてくる。

明日は思いきり弾いてきます。

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